おわら風の盆 / 25万人が熱狂する富山県を代表する祭 / 川崎順二と高階哲夫
江戸時代に起源がさかのぼると言われと言われている「おわら風の盆」ですが、
現在のスタイルになったのは昭和3年に東町の医師である川崎順二(1898~1971)が
私財を投げ打って、郷土芸能として普及させることを決意して日本画の大家で歌人の
小杉放庵(ほうあん)に、新しいおわら歌を依頼したことから始まるようです。
“八尾坂道わかれて来れば 露か時雨かオワラはらはら”
こうして「八尾四季」生まれました。
また、小杉の紹介で日本舞踊家の初代・若柳吉三郎に振り付けを依頼しました。
“四季の踊り(新踊り)”の誕生です。
そして翌昭和4年に東京三越デパートにて富山県物産展の会場で披露され大変な評判になったのが復興の始まりだそうです。
同じ頃、滑川出身のヴァイオリニストで、札幌の街と時計台の存在を全国の人に知らしめた「時計台の鐘の音」を
作曲した高階哲夫が初めて、おわらを初めて五線譜に採譜しました。
これは、八尾の資料館に展示してあります。
札幌の時計台1階には、高階哲夫のヴァイオリン、自筆の楽譜、
テスト盤レコード、「ヴァイオリン奏法の秘訣」原稿が展示されています。
こうして、地道な努力の末「おわら風の盆」は、全国から25万人以上が観光に訪れる、富山を代表する
大きな祭りになりました。
2017年9月1日